教育的識見はまずこの程度である。

母さんがい

子どもを大事にしてほしいのです。
おかあさんが飛んできて、まるで一方的に赤ちゃんをかばって、悪いことをしないで、キヨシ。あなた、おにいちゃんでしょ!とどなりつけたりして。
事がいつでも思いがけぬ方向に展開して、まるで自分が油断もスキもならない悪者のように何回かどやしつけられると、それこそ思いもかけず、赤ちゃんを憎ったらしくなったりもするのですよ。
その心理を少しは理解しなくてはね。
おかあさんカウンセリングで、たとえばこんなふうに赤ちゃんがスヤスヤと寝静まっている時などに、おかあさんも疲れてほっとしているでしょうができたら頑張って、アニキを、まだ幼い幼児そのものとして、文句なく抱きしめてやりなさいね。
赤ちゃんが寝ている時に、さあ今がチャンスとばかりに、おにいちゃんだから、気をつけるのよなんてお説教するのでなく、ね。
分かってやることから、子どもも変わります
キヨシ。赤ちゃんがいるから、すっかり私は、赤ちゃんのママになりきっているものねえ。

感情の対立が起こった時、アニキのほうは、赤ちゃんに対して、常に常に常に、譲歩せざるを得ないのですから、これは大変です。
アニキのほうだって、自分自身がまだ幼児です。成り行きまかせで、わがまま放題を、きく受けとめてもらわねば、到底うまく時間の過ごせない年頃でしかないのですよ。
大人に大おかあさんは産院から赤ちゃんを抱いて帰ってきた瞬間から、上の子を、おにいちゃん、おにいちやんと呼び、その子の顔も見ず体も抱きあげてやらずに、赤ちゃんにだけ神経も愛情も集中しているかに見える。
小学校二年生くらい

教育にしてもママが独裁者のごとく振舞っている。

次の赤ちゃんが生まれた時の、おかあさんを赤ちゃんに奪われてしまったように見える時の、上の子のうろたえ、それはもうすごいものなのですよ。
そういううろたえが、今自分にあるのだ、今ぼくはうろたえているのだ、気持を落ち着けなくてはならないなんて、幼児が自覚するわけがないのですからねえ。
やることなすことわけの分からないようなことになるのも、らなければ、ねえ。
もっともだと、ちょっと理解してや第一、おかあさんご自身が、二人目の子どもを生んだ、という新しい体験に、自分自身が溺れ込んでしまっていますから、上の子から見て、自分がどう見えるかとか、上の子は今、母親と赤ちゃんとの、蜜月的な親密さを見て、どんな気持になっているかなど、なかなか考えるだけのゆとりはないでしょうからねえ。

しつけることにしたのです。


中学三年間の義務

赤ちゃんって、かわいいから、赤ちゃんの、たとえば、手や足を見ただけで、こつとうれしくなっちやうでしょう。で、どうしても触りたくなるアニキも、ほこほ触る時、大人が気をつけて触るようには触らない。幼児ですからね、から、ちょっと触るどころか、ぎゅっと引っぱったりするまだ、アニキったって。
だ幼児同士なら、親しみで引っぱったのが、相手にとって強すぎる引っぱりようであれば、親しみなど伝わらなくてなにを!と引っぱり返して、引っぱり返されたほうは思いもかけない反応に
腹を立て、たちまち喧嘩になって、もつれあっているうちに、思いがけぬ遊びを、どちらかが発見して、どちらかが誘われて。たちまちなにかに夢中になり気をとられて、時間を過ごしているといった形に、心の動きも体の動きも流動し展開していくのですが、ねえ。
でも、相手が赤ちゃんなら、そうはいかない。触るというよりぎゅーっと引っぱったりすれば赤ちゃんが火がついたように泣きだしたりして。
小学校二年生くらい

しつけることが多いので自発性

おかあさんが飛んできて、まるで一方的に赤ちゃんをかばって、悪いことをしないで、キヨシ。あなた、おにいちゃんでしょ!とどなりつけたりして。
事がいつでも思いがけぬ方向に展開して、まるで自分が油断もスキもならない悪者のように何回かどやしつけられると、それこそ思いもかけず、赤ちゃんを憎ったらしくなったりもするのですよ。
その心理を少しは理解しなくてはね。
おかあさんカウンセリングで、たとえばこんなふうに赤ちゃんがスヤスヤと寝静まっている時などに、おかあさんも疲れてほっとしているでしょうができたら頑張って、アニキを、まだ幼い幼児そのものとして、文句なく抱きしめてやりなさいね。
赤ちゃんが寝ている時に、さあ今がチャンスとばかりに、おにいちゃんだから、気をつけるのよなんてお説教するのでなく、ね。
分かってやることから、子どもも変わります
キヨシ。赤ちゃんがいるから、すっかり私は、赤ちゃんのママになりきっているものねえ。

学校へ行かなくなった。


子ども天下
おまえは、この年で、随分我慢しなきゃならない。よく頑張ってくれてありがとうそう言って、とっておきのクッキーでも、時にはハイ、好きなだけどうぞ
ごと渡してやるといった配慮量でなく、質ですからね、心の問題は。
なんて、小さい缶
きょうだい喧嘩としご年子で、下が負けていないので、いつもひどい喧嘩です。
夫が帰ってきてから、それぞれ言い分を話さおとうさんがとりしきる。これ絶対、問題だなァ。
お勤めから帰ってきて、お風呂に入って、晩酌つけて夕ご飯を食べて、それから子ども二人並べおとうさんが裁くの?
裁判所が審判するのは、時間が空き過ぎますよ、私は常々、て、昼間の子ども同士の喧嘩を、十年も二十年も前の事件を、ね問題だなァと感じていましてねえ。
子どもが自分で選んだことにっいては最後

いじめの心の裏側にあるものに気づく

子どもにとっては、昼間の喧嘩を夜に裁かれるのでは、じくらい、もうへだたってしまうのですよね。
大人の事件が十年、二十年経ったと同第一、おとうさんの出る幕じゃないなア。
じゃあ、おかあさんの役?いや、おかあさんの役でもないわけですよ、ほんとうは。
子どもの喧嘩に、親、口出すな。昔からそう言うでしょ。
……というと、構うといえばメチャメチャ構う親が、今度は放っとくといえばメチャメチャ放つとくことになりがちなので、ちょっと丁寧にあとを読んでくださいね。
つい、こんなふうにしてしまいがちですがおかあさんが、つい悪いほうに言って聞かせようとすると、さしでがましく見当違いの干渉になってしまうのでしてね。