学校がいけないのではない。

子供の言いなりに規則違反の服を買って与えるのか。

アメリカの精神病院の患者を分類してみると、トップが人格の問題になっている。
っては精神分裂病がトップだったが、今は二番目で、三番目が薬物濫用であるアメリカはか日本では、今は精神分裂病がトップで、格の問題というのは、家庭内暴力を含むそれから薬物濫用、続いて人格の問題という順序だ。
人アメリカはとうにそういう道をたどっており、日本は遅ればせながらそれに追いついてきた。つい最近は学校内暴力の問題がそれほどに騒がれなくなってしまったが、それは鎮静化したというよリも、むしろ日常化してしまったのであろう。

母親にとっても心地よい


子どもを叱る

>しつけたところしかも、生徒だけではなく、学校の先生の出勤拒否という問題さえ多くなっている。
今アメリカにあって日本でそれほど目立たないのは、子どもへの虐待だ。しかし日本でも、ボッボツ出かけていることをその方面の専門家が報告している。そういう風潮が出てきているといって実際、昨年昭和六十三年、母親が男と暮らすために三人の子どもを置き去りにし、その置き去りにされた上の中学生の男の子が、まだ11歳の下の妹を、友達のためのカップラーメンを食べてしまったという理由で、友人と一緒にせっかんして殺してしまったという事件もあった。これも、親が自分で実際に手をかけたわけではないが、子どもへの虐待といってもいいであろう。また、最近ではあまり話題にならなくなったが、数年前にはよく起こったコイン·ロッカーに赤ん坊を遺棄するというのも幼児虐待の一種といえる。
常識からいうと継母とか継父というのが子どもにつらく当たることが普通と思われてきた。しかし近頃は、実際はどうやらそうではないらしい。


母親であろう

子どもの活動に目を向けている

子供を見ていると親がわかります。実の父や母のほうが、子どもを虐待するというの
自分の子どもだからどうしようと勝手だろうと思うのだろうが、それは大きな間違いだ。かわいさ余って憎さ百倍とか、いろいろ考えられるにしても、自分の子どもを虐待するという心理は大変解釈が難しい。
-父親は量より質
で存在感を示せついでに書いておくが、虐待の中にはセックスの虐待もある。
そういうケースも子どもの虐待の中に入れて考えていい。
これは父親が実の娘を犯すなど最近は母親と息子の異常な関係
というケースが多くなったといわれる。受験勉強中などに、女性との交遊とか、性的妄想などで悪い影響があってはいけないから、というので、母と子が関係したりする。子どもがいるのをご存じでしょうか。子どものフラストレーションここがポイント!こうなるとマザー·コンプレックスの極まったものといえる。こういう場合、その特徴は母も子もほとんど罪悪感がないことだ。母親の子どもへの愛情が変質して現われ、本人も満足しているという、スキンシップの終局的表現であるこの場合、息子にとって父親の存在というのは風に吹きとばされる霧のごときものになっている。
マザー·コンプレックスが強ければ強いほど、父親はないがしろにされる。家の中に父親がひとり孤立することにならないためにも、父親は家族との心の交流をはからねばならない。
表面から見れば、こういう場合、母親が前面にしゃしゃり出ていて、父親はその背後に隠れてはなはだ影の薄い存在になる。母親強く父親弱しということが言える。このため一方では父親よ強くなれという声援も出てくる。


大学を出てからでなくてはいかん

母親が強ければ、当然、父もまたそれにバランスを合わせて強くならなければならぬということである。
だが多くの家庭では、時間的に、家庭にいる率の高いのは圧倒的に母親である。父よりはるかに優勢である。尋常な手段では太刀打ちできない子どもと接する上で、量的には全くかなわないのであるから、対抗するには質しかない。
せんきん昔の日本海軍のスローガンであった量より質でゆくより仕方がない。
が言える父親がこの世に出現することを望むやせつである千鈞の重みのあるひと言では、どうやって重みのある父親になるべきかということになるが、これがまた難しい。若い女性にアンケート調査をすると、家庭では威厳あるべき父親たる中年男性で、もっとも見苦しく幻滅する姿は、駅のホームに設置されたゴミ箱から新聞や雑誌を漁っている光景だそうだ。家族·知人に見られなければいいというものでもなかろう。
また、外国の空港やホテルのロビーで日本人の男性は同じ東洋人の中でもすぐ見分けがつく。

母の手を振り払ってどこかへ走っていってしまう

子どもらしくと心がけているのに平均的な順調そのポイントは端的にいえば姿勢と歩き方だ。もちろん例外は大いにあるにしろ、服装のセンスの哀れさだ。日本人の服装はよく見ると実にぜいたくである。服地もネクタイも金のかかった上等のものを身につけている。だがバランスがとれていない。その場に合った服装を心がけるすべを心得ている人が少ない信じられないような話だが、朝食は気軽なスポーティな服装でいいが、夕食はきちんとあらたまった服装をと言われたある日本の紳士が、夕食の席になんとモーニングを着て食堂に現われたという話をある旅行業者から聞いたことがある。


子どもがいるのをご存じでしょうか。 子どものきょうだい喧嘩を見ている 子どもの世界も広がって自分で判断できる