子どもは面倒も見てくれないだろう

育てなさい。

伸ばしている。
首を横に振って、そのまま左手から離そうとしない。
いやーという気持を体じゅうで示してほんとにいやがってしまっているのに、若い親は、それをまるで悪いことなのだから自分の力で正しくしてやらねばならないという親の責任だけで力んでしまって、大人の力で幼い者を屈服させ、力ずくで左手からスプーンを取って、右手に持たせようとすると、かえって子どもは、右手に握らされた途端にポンと捨てて、左手で拾ってまた左手に持って遊んだりするものです。そういう場面が一度あっただけで、この子は、左ききみたいよ
と、若い両親がうなずき合って、困った困ったと言いながら、て、ほんとに左ききにさせてしまう、ということがあるのです。
かえって左ということを、意識し一回か二回、力んで直してやろうとして、かえって気持をこじらせてしまって、子どものどうでもやりたがる様子を見て、この子は左ききね、とか、こわがりね、とか、泣き虫ね、とか、わんばくよきっと、とか、ごく気楽に決めつけることばで大人同士がうなずき合ってしまう。

知らないうちによい向きの訓練をより多く積み重ねさせてしま右きき左ききの問題はたとえば、赤ちゃんの頭の形と同じで、生まれたてから寝ぐせがついて、つい頭の形がいびつになってしまうということがありますね。あれと同じです。
あれなど、若いおかあさんが、なんとか頭の反対向きに寝かせようと思って、反対側に枕をかませたりなどと苦心しても、赤ちゃんは動くので、いつしかいつもの向きに、どうしても向いてしまいます。あれなどは、作為的に技巧を試みるよりも、寝る場所の向きそのものを変えてしまうほうがずっと効果的でしょう。

母の横顔を見て僕は無心に声をかけて慰めていた。

窓があって明るいほうを好んで向くようだったら、しばらく頭と足を反対向きに寝かし替えてやれば、おのずから明るいほうが反対なので、頭の向きも反対になりますねモノを握りはじめの頃に、ともすれば左手で握っているのに気づいたら、いちいちことばでそっちはダメなどと言わずに、なんとなく遊びのリズムで、右の側から、右のわきから、右から右から手を添える。つい右手で持ってしまいやすいように体の反射·反応の機会を、できるだけ多く、右へ右へ、右から右からと気遣ってやると、なんでも右と、習慣がついてきますよ心がけてやるほうは、意識的にそうするように頑張ってやるのだ、というのでなく、自分でも気づかぬうちに、そうしてやってしまっている、といったさりげなさ。

子供たちに教えてほしいものです人のため


子どもの無償性を弾劾する。子どもはどうさりげなさが大切です。
赤ちゃんが、スプーンをカチャカチャ握ったり離したり振り回したりして遊んでいる。
見ると、左手でやっている。
たまたま左手に近いところに、スプーンがあったから、左手に持って遊んでいる。でも、どうやら、右手でなく左をつかっているのを目撃することのほうが多いような気がする。
手の使いはじめのころの赤ちゃんは、どっちも同じくらい使っているのですね。ところが、親がこれはいけない。左ききになってしまわないように気をつけないといけないなどと気づいて、これこれ!そっちはだめ!こっちで持つのよ
などと、口と態度でたしなめながら、持ち替えさせようとすれば、赤ちゃんの心と体の自然な運びの邪魔だてをすることになって、それが正しいことであるかどうかより、とにかく、邪魔だてされることをいやがる。

子供の側に立って考える

首を横に振って、そのまま左手から離そうとしない。
いやーという気持を体じゅうで示してほんとにいやがってしまっているのに、若い親は、それをまるで悪いことなのだから自分の力で正しくしてやらねばならないという親の責任だけで力んでしまって、大人の力で幼い者を屈服させ、力ずくで左手からスプーンを取って、右手に持たせようとすると、かえって子どもは、右手に握らされた途端にポンと捨てて、左手で拾ってまた左手に持って遊んだりするものです。そういう場面が一度あっただけで、この子は、左ききみたいよ
と、若い両親がうなずき合って、困った困ったと言いながら、て、ほんとに左ききにさせてしまう、ということがあるのです。
かえって左ということを、意識し一回か二回、力んで直してやろうとして、かえって気持をこじらせてしまって、子どものどうでもやりたがる様子を見て、この子は左ききね、とか、こわがりね、とか、泣き虫ね、とか、わんばくよきっと、とか、ごく気楽に決めつけることばで大人同士がうなずき合ってしまう。

子どもの立場に立って考えることのできる教師


勉強がからきしダメなんです。
別にそうと決まったものでもないのに、そんな決めつけを周囲の大人が認め合って、変にそうであることを確認するくせができてしまうと、それでかえって、子どもが実際にそんなくせに育ってしまう。そういうことが多いのです。
おばあちゃんがなんでも言うことをきいてやってしまうので、しつけはもう滅茶苦茶です母親がなにを禁止しても一向に本人が困らないのです。
世間のおばあちゃんが、これをお読みになることを考えると、私、書くのがどうも辛い。
率直に言って、おばあちゃんが、孫を大切にしているつもりで、逆に将来の不幸を課しているというようなこと。
そういうと、ひどい書き方なのですが、でもそういうことって……。
あるのですよねえ。
おばあちゃんのほうの気持も、随分と分かるのですよ、もちろん。
まあ、こういうことは、まとめて世の中のおばあちゃん全部、対、まとめて世の中の若いおかぁさん全部、というような、単一的な対立で、ものを言わないことが大切ですね世間には、いろんなおばあちゃんもいれば、いろんなおかあさんもいらっしゃるのですから。

先生も強硬策をとることができなくなります。

だから、どうか、どうか、客観的に心のびやかな態度で、おばあちゃんもおかあさんも一緒に読んでお話し合いの参考にしてください。
お年寄りから見れば、若い人のせっかちさが、思いはそれぞれなのですね未熟っぽくて気になってたまらなかったり、ねえ。
つい、こんなふうにしてしまいがちですが子どもの前で、祖母と母親が、けたいものですねもろに感情の対立を、みにくいはしたなさで展開するのだけは避かといって、逆に、考えややり方が違うのに、なにひとつそれをはっきりさせず、子どもは、おばあちゃんにしてもらうことと、おかあさんのしてくれることが違っていて、その違いに面喰らっている。子どもにしたら、考えの筋道が立たなくて、頭も心も混乱のしっぱなし、というのも困ります。
とは言うものの、お年寄りと若い世代とでは、ものを許す限度などについては、どうしても考えが違いますからね。気持よくいつも話し合いで意見一致というわけにもいかなくて。
「いいよいいよ。
おかあさんが買ってくれなかったら、おばあちゃんに頼むからいいよ」


子どもはどう 教育は終わ いじめよう