子どもが自分で選んだことにっいては最後

学校に入るのがいちばん安心だ

中学をすと言って
水で手が洗えなくて、ハンカチで手が拭けなくて、かたくなに食事を拒否する子どもの、心と体よくよく共感して、とにかく一緒に困り抜いてしまうことですおたおた、の萎縮の事態を、一緒に困り抜くといっても決して、ここは大人なりの機転のきかせ方を示してやる。
おろおろしてしまわないこと。
できれば、ユーモラスなゆとりでしかし、あざ笑う、からかう、というのは、決してユーモアでもゆとりでもありません。まじめに

よし、手を使いなさんな、食べさせてあげよう。食べたくないのだからほんの少しだけ。
ら、食べられた!あっ!噛んだ。喉に通った!食べたくないのだからもう少しほらほ分かってくれてしかもあきらめずに向かってきてくれる。で、心も体も開きはじめるのです。
何回か、そういう事態を重ねるうちに、いつしか、本人が心を開いて
胃も開いて、いいや、こうして食べる
と、自分で箸をつかいはじめたりするでしょう。

いい加減な言い方をしないで、しゃっきりとそれを指示してやれば、射的に、大人の方針に子どもは従うでしょう。
びんと心に響いていわば反ところが、ついいい加減なメリハリのない調子で、それを言い出したりすると、いや!という、子どものはっきりした拒否に出会ってしまうのですよ、ね。
思いもかけずスカッとうまくいくか、ぐにゃぐにゃとだらしない成り行きになるか。
なににしても、その違いは大きいですね。
たとえば、板場さんが一呼吸で串をうつのは、あまりにもあっけない様子に見えますが、おずおずと、もたもたとやったら、到底うまく串一本がうてるものではありません。
軟らかい魚の身でも、勢いのない串には、意外に頑強に弾力で抵抗するものです。
子どもに、意外ときっぱりいや!と言われてしまってから、親に逆らっている、素直じゃない、と腹を立てても、そこからいよいよズレて、子どもはかたくなになりますねおかあさんカウンセリングで、たとえばこんなふうに育児とは、家庭で唯一取り残された昔ながらの手仕事だ、といってもよいのかも知れません。

高校の入学式の時に校長が訓示して曰く

仕事には、手順のテンポ、リズム、要領のよさ、コツといったものがあるのです。
手几帳面すぎて、自分でこうと思ったことはまわりの事情がどうであろうと通さなくては気が済まない。いわゆる完璧主義、完全癖といった気性になっている子どもは、それは決して、生まれつきの性質ではないのですよ。むしろ育児という名の手仕事が、微妙にズレて、ズレがズレを生んで、
そういうふうに心ならずも形成されるに至った厄介なくせ、といったものなのです。すぐにもどうにかしてやろうと力んでしまうのも困るし、反対に、どうしようもないことだとあきらめてなすがままに放っておくのも困ります。
ここはひとつ、おかあさんカウンセリングで、じっくりと。

母さんにも教えてくれる?


子供の弱い心を叱ってやれるのは親しかありません。子どもが高齢者に関心を示さないのはそのためですだ親自身が、一回一回の、しくじりや不首尾を、まずおそれないことですね今回から次回へ、次回からその次へ、少しずつ事態が好転するかどうか。
それに賭けるのです。じっくりとです。
たとえば、下手にあせってフライパンを動かしすぎて、バラバラに崩してしまったオムレツも、ベテランの手にかかったら、あわてず、じっくり卵とか火とかの性質をわきまえていて、に逆らわずに、やがて見事に形を整え直してしまうでしょう。
成り行き話を元に戻します。

子供はテレビに夢中になって

水で手が洗えなくて、ハンカチで手が拭けなくて、かたくなに食事を拒否する子どもの、心と体よくよく共感して、とにかく一緒に困り抜いてしまうことですおたおた、の萎縮の事態を、一緒に困り抜くといっても決して、ここは大人なりの機転のきかせ方を示してやる。
おろおろしてしまわないこと。
できれば、ユーモラスなゆとりでしかし、あざ笑う、からかう、というのは、決してユーモアでもゆとりでもありません。まじめに

よし、手を使いなさんな、食べさせてあげよう。食べたくないのだからほんの少しだけ。
ら、食べられた!あっ!噛んだ。喉に通った!食べたくないのだからもう少しほらほ分かってくれてしかもあきらめずに向かってきてくれる。で、心も体も開きはじめるのです。
何回か、そういう事態を重ねるうちに、いつしか、本人が心を開いて
胃も開いて、いいや、こうして食べる
と、自分で箸をつかいはじめたりするでしょう。

しつける場合には非常に重要なポイントです。


母も家に待つ
片づけおもちゃなどを自分で片づけさせようと、いつも親子戦争です親は懸命に頑張るのですが、ちっとも片づけません。
夕方はしつけが悪い、とか、しつけがなってないとか、よく言うでしょう。
しつけとはどういうものか、と言いますとねえ。
しつづけ慣れることを、関酉弁では、しィつけると言うんですが微妙な話しことばのニュアンなま文字に書くとうまく伝わらないものの、しつづけるが訛って、なのですよ。
考えないでも勝手にスは、しつける、いつしか、しつづけて、しつづけて、反射·反応の型ができてしまって、やってしまう習性。

先生の行為にも問題があります

それがしつけですね部屋中に出し散らかしたオモチャを、片づける片づけないで、夕方になればいつも親子戦争ということなら、ついに、しつづけがしつけになって、お日さまが傾きさえしたら、自動的にただただ親子戦争をはじめずにはおれない、というこれもひとつの
しつけになっている。
悪いパターンを、いつもいつも、同じように繰り返していたら、それが身につくだけで、よい結果にはならないでしょう。悪いしつけができているのですね少しもつい、こんなふうにしてしまいがちですが片づけることを、しつけ
あどうしようもないですねにしてしまわないで、言い争うことを、しつけ
にしてしまっちゃまずいことを繰り返しているな、と気づいたら、それはとにかくやめることです。


子どもが高齢者に関心を示さないのはそのためですだ 子どもが生まれてくると事情が変化する。 子どもは面倒も見てくれないだろう